紀行文「白峰の麓」の足跡をたどる【後篇】

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下から見上げた平林の集落(11月13日)   写真05
「13日はうす曇であった、富士は朧(おぼ)ろげに見える。平林の村は、西と北に山を負うて、東が展(ひら)けている。村の入口から出口までダラダラの坂で、道に沿うて川があるため、橋の工合、石垣のさま、その上の家の格恰(かっこう)、桶、水車なんどが面白い。下から上を見ると、丘の上に寺があったり、麦畑が続いたり、ところどころ流れが白く滝になって見えたりする。」
 平林の集落。みさき耕舎付近から上を見た。
上から見下ろした平林の集落(11月13日)   写真06
 「上から下を臨むと、村の尽くるところに田が在る、畑がある、富士川の河原の向こうには三坂(御坂)女坂などの峠が連なって、その上に富士が見える。大きな景色もあるが、小さな画題は無数である。」
 平林の富士山ビューポイントから撮す。
鷹尾山氷室神社(11月13日)   写真07
 「鎮守の鷲尾神社にゆく、」と記されているが、鷹尾神社の誤りだろう。
 鷹尾山氷室神社。宝亀元年(770年)の創立で、儀丹上人の開基といわれている。旧くは、真言宗鷹尾寺と称し、武田家、徳川家の信仰も厚く、代々徳川家より御朱印を賜った。明治維新の神仏分離令により、鷹尾寺から仏教関係を取り除き氷室神社となったそうである。
氷室神社の石段(11月13日)   写真08
写真08 氷室神社の石段

 

 「二百階も石段を登ると本社がある。」
 実際に本社まで行ってみて、石段を数えたが430段ほどあった。
氷室神社本殿(11月13日)   写真09
 現在の氷室神社本殿。良いお天気だったが、誰もいなかった。
氷室神社の大杉(11月13日)   写真10
 「甲州一と里人の自慢している大杉が幾株か天を突いて、鳥一つ啼かぬ神々しき幽すいの境地である。」
 氷室神社一帯に生育する1200本程の杉林は、適潤な水分の供給を受け、また、神域であるため保護され美林を構成している。
 特に神社の裏にある大杉は、神社の御神木として1200年前からあるものだとされている。幹回り8.4m、樹高約400mである。
氷室神社社殿からの富士(11月13日)   写真11
 「社前に富士を写す。すぐ前の紅葉せる雑木林がむずかしい。」
 本殿横の杉林の間からかろうじて、富士山が見えた。
平林から舂米に(11月14日)   写真12
 「14日の八時半平林を発足して、山際を川に沿うて下ると、一里ほどで舂米(つきよね)という村に出た。」
 平林から舂米まで5km程である。川は、利根川といい、富士川にそそぐ。
舂米の集落(11月14日)   写真13
 「一里ほどで舂米(つきよね)という村に出た。人家二、三十、道路山水としては格別面白くはないが、川沿いの色がいかにもよいので、三脚を据えた。川には殆ど水がない。その岸にある四、五本の柳は、明るいオレンジの色をして並んでいる。背景は甲州盆地の平原で、低い山がうす霞んで、ほんのりと紅味を帯びた空は山にも木にもよく調和していた。」
天神中條天満宮(11月14日)   写真14
 「何処を見ても物の色は佳い。暗く影の深い鎮守の森、白く日に光る渓川の水、それを彩るものは秋の色である。」
 鎮守の森とは、天神中條天満宮の森のことか。現在は、3月25日のお祭りの頃、菜の花が美しい。(写真04/3/28撮影)。
利根川の堤(11月14日)   写真15
 「青柳の町を、遙かに左に見て,堤の上をゆく。槻の並木の色は比ぶるものもない美(うるわ)しさである。堤の尽くるところに橋がある、鰍沢の入口で、ここにまた柳を写生した。粉奈屋へ帰ったのは午後の二時。富士川通船の出るあたりに往って見たが、絵になるような場所はない。」
 増穂町最勝寺、鰍沢町との堺の橋に向かう戸川添いの道。
 大下氏は、この後15日7時半に鉄道馬車で甲府に向かい、11時甲府発の汽車で新宿に着いている。
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